約30年前、わたしが中学受験をした時のお話です。
日能研の思い出
5年生の春から日能研に通っていました。
"日能研は他塾に比べて拘束時間が長い"というのは最近知りましたが、当時から確かに長かったですね。5年生で週3授業プラス週1テスト、6年生になるとそれに日特が加わり塾一色の生活でした。
とくに長かったのが6年生の夏期講習。朝の8時から夜の7時まで11時間がほぼ毎日!夕方になると、母が2度目のお弁当を届けてくれました。ほとんどの母親が専業主婦だった当時ならではですね。
とにかく塾に行っていたというばかりで、家で勉強した記憶がありません。宿題はあまりなかったのでしょうか。言われたことくらいはしていたと思いますが。
家ではテレビを見たりしてゴロゴロと過ごしていました。
塾は楽しかったし、もともと勉強がわりと好きでした。でも、受験生としての自覚とか主体性とかそんなものはまったくなく、ただボケっと勉強しているだけ。精神年齢は幼めだった気がします。
両親に、勉強や成績のことで何か言われた記憶はありません。
母は、塾弁を作り、ママチャリの後ろに乗せて送ってくれました。今では禁止されている二人乗り。丘の上に住んでいたので、下り坂が気持ちよくてラクチンで、嬉しかったのを覚えています。
父は、必ず車で迎えに来てくれました。外車で正面玄関に横付けするので少し恥ずかしかったです。今思うとあれは迷惑だったのではないかと思います。
入試前日
わたしの父はかなりの心配性なのに、なぜ1月31日まで普通に学校に行かせていたのか不思議です。
学年の半分以上が中学受験するような小学校でしたが、入試前に休むという風潮は当時はなかったのでしょうか?能天気なわたしが行きたがったのでしょうか?
いつもどおりに放課後学校で遊んで、帰宅。しばらくすると発熱しました。たしか39度以上。
ここから先はあまり覚えていませんが、あたふたと母が父に電話したりなにやら相談したり・・大変そうでした。
大変ですよね。自分が親だったら絶対にこんな目に遭いたくありません。母は、気が動転しすぎてなぜか笑ってしまっていました。
入試当日
病院でもらった解熱剤(座薬)で熱を下げ、車で志望校へ。2月1日校が第一志望だったのです。
正門に着くと、先生方が出迎えてくださり付き添われて教室へ行き、試験を受けることができました。(よく覚えていないけれど、当然、別室受験だったものと思われます。)
面接もある学校でしたが、たぶん順番を早めてもらって、車でさっさと帰宅。
解熱剤が切れてまた熱が上がり、ぐったりと横になっているわたしのところに両親がやってきて、テストの自己採点をしました。
「ここなんて書いた?」「〇〇」「ここは?」「イ」みたいな感じでだいたいの点数がわかると、両親は2日校を受けないことを決定しました。
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わたしの入試スケジュール
当時は午後受験という制度がなかったし、同じ学校が何度も試験をすることもなかったので、入試スケジュールを組むのは今よりもシンプルでした。
2月1日 第一志望校(偏差値62)
2月2日 白百合(偏差値65)
2月3日 滑り止め校(偏差値58)
2月5日 慶應中等部(偏差値72)
偏差値は、約30年前のもので現在とは違います。記憶違いもあるかもしれません。
結果は、第一志望校に合格しました。
当時のわたしの持ち偏差値が日能研で68くらい、第一志望校では5以上の余裕があったのです。だからこそ、体調不良でも強行突破することができたのだと思います。
両親は、1日に受ける学校を雙葉と迷っていました。でも、大学がない=大学受験をしなくてはならないことから、大学まである第一志望校を選びました。
雙葉だったら、厳しかったかもしれません。
なぜ大学のある白百合よりも偏差値の低い1日校が第一志望だったのかは、立地の通いやすさと単なる好みです。
さて、2日に第一志望校の合格を決め一件落着かと思われたのに、なぜか5日の慶應中等部を受けさせられました。(もう熱は下がっていた)
両親の(本音の)第一志望は、慶應中等部だったようです。
わたしは受かった学校に行きたかったし、慶應中等部のテストが難しすぎて試験開始直後に戦意喪失しました。
そして、第一志望校に進学しました。めでたしめでたし。
入試の前は体調に気をつけよう
中学受験をする子が1月に学校を休むことの是非についてはいろいろ言われていますが、ほんとうに熱が出ちゃうこともあるんですよ!というお話です。
入試前に学校を休むような子は受からないとかそんなジンクスみたいなものより、ウィルスや細菌に感染する可能性の方が現実です。
追い込みで勉強するためではなく、体調維持のためにせめて本番一週間くらい前からは学校だけでなく塾にも人混みにも行かないのが賢明だと思います。
ところで余談ですが、その後わたしは、エスカレーターではなく指定校推薦で大学に進学しました。
つまり、受験したのは中学受験だけです。
そのたった一度の受験で熱を出してしまうのですから、人生ままならないものですね。
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